日本の正社員には三種の神器があると言われている。
早速だが最後以外無視して頂いて構わない。 年功序列については、そうあるべきと定めた法律があるわけではない。 また、労働内組合を結成したところで、雇用者と労働者のパワーバランスで交渉の結果というのは最初から決まっている。 この中で、特に力をもつ神器といえば、労働基準法の解雇規制を背景にもつ「終身雇用」だろう。
結論から言うと解雇規制は労働者に一方的に有利ではない。
ゲーム理論のナッシュ均衡をご存知だろうか。
ナッシュ均衡(ナッシュきんこう、英: Nash equilibrium)は、ゲーム理論における非協力ゲームの解の一種であり、いくつかの解の概念の中で最も基本的な概念である。
解雇規制は一見すると労働者に有利に聞こえる。 しかしゲーム理論の考えに則ると、ゲームプレーヤはルールに合わせて戦略を変化させるため、解雇規制というルールの追加が労働者のロールをプレーするプレーヤに一方的に有利に作用すると一概には言えない。 ルールが変化すれば選択に対する利得が変化し、利得が変化すれば両プレーヤーの戦略は変化するため、結果としてナッシュ均衡は移動する。 なので「ナッシュ均衡の移動先が本当に労働者に有利になっているか」ということを日本の採用の実体を踏まえて考察する。
海外ではジョブ型採用が採用プロセスの中心となっている。 会社は選考ポジションごとに期待するジョブの内容 (ジョブ・ディスクリプション) を予め明確にしておき、その人物像にマッチする人材を採用する。
海外のジョブ型採用と対を成しているのが日本のメンバーシップ型採用だ。
解雇規制が存在する日本において前述のジョブ型雇用には大きな問題がある。 それは期待したパフォーマンス基準に満たない社員 (以下、ローパフォーマ) を解雇できないことだ。
なのでローパフォーマに対しては異動発令を出し、新しい部署での再研修を経て、その人がパフォーマンスを発揮できるポジションを探す、といった手段を取るしかない。 「総合職」という職種がこの日本企業のやり方を表している。 総合職はどの現場に配属されるのかが未定であるため、総合職にはジョブ・ディスクリプションが存在しない。
率直な話、候補者がハイパフォーマかどうかは、実際に一緒に仕事をしてみなければ分からない。 優秀な人材に巡り合っても、提示年収には及び腰にならざるを得ない。 入社後に万が一のことがあっても、採用してしまった以上は解雇できないのだ。
多くの日本の大企業は「個」を評価することを諦め、候補者がすべて同一レベルにあると考えた上で、すべての内定者に同一の年収を提示する。 これはつまり、内定者一人ひとりに対して会社の利得を考えるのではなく、内定者集団全体で会社の利得の期待値を考えることになる。 入社後は同期の内定者と足並みを揃えて社員研修を実施し、実際の現場に投入される。
このような会社が最も恐れているのは「研修中に退職されること」だ。 社員研修というのは会社から人材への投資フェーズである。 この投資フェーズで退職されることは会社にとってリスクでしかない。 投資した教育研修費は回収不可能となり、人員計画には狂いが生じる。 よって会社はハイパフォーマより辞めない人材を欲しがる。 これがしばしば問題として取り上げられる新卒一括採用だ。
まず、解雇規制の利点を挙げる。
大きな利点は研究職の心理的安全性にあるだろう。 雇用が保障されていることによって、研究者は真に価値のある研究だけに集中することができる。 逆に 「いつ解雇されるか分からない」「経営者に未だ利益に及んでいない研究の進捗は理解してもらえない」という状態で、事業利益に反映されるまでに数年かかる研究になど着手できない。 日本の技術が世界トップクラスを誇っていた当時、日本の技術力を高く評価した当時のインテル, IBM, ヒューレット・パッカードは従業員の終身雇用を打ち出している。
また、安定した収入が保障されていれば、住宅ローンなどの長期ローンにも手を出しやすくなる。 これが貯蓄性向を低減させ消費を喚起し、経済の活性化につながる。
新卒一括採用を前提に考えると、優秀な候補者に対して差別化された年収を提示できない。 中途採用も同様に、解雇規制が存在するゆえに、能力と実績があっても前職年収を大きく超える年収のオファーには消極的になりがちだ。 会社としても、労働者の実績が転職市場で評価されにくいとなると、労働者の実績を過小評価しても退職のリスクが小さいので、労働者は社内での昇給の機会を損失していることが分かる。
また、就活において候補者の能力が評価されないのであれば、将来の候補者である学生が能力開発を行うメリットがない。 このように新卒一括採用の問題は大学教育の問題にまで波及している。 大学に入学する目的が、ただ「大卒という箔をつけるため」になってはいなかっただろうか。 少なくとも私はなっていた。 (箔はつかなかった)
そんな厳しい解雇規制が存在する日本でもジョブ型採用に移行しようとする動きはある。
理由の一つは、労働基準法について知らない労働者が多いことだ。 会社は解雇が決まった本人に解雇予告をした上で、実際には「会社からの退職勧奨に同意し退職する」という旨の同意書に同意を求める。 本人がこれに同意すれば自己都合退職として扱える。
二つ目の理由は、個人が自分の能力をアウトプットする機会が増えたことで、情報の非対称性が少し緩和されたことだ。 例えばエンジニアにとっての GitHub などがそうだ。
三つ目の理由は、今までのオファー年収では、優秀な人材を雇用できないということが浮き彫りになったことだ。
そして今年発生したコロナ禍による企業の業績悪化は、メンバーシップ型採用の在り方に大きく影響を及ぼすと考える。 コロナ禍により会社の業績が悪化して役員報酬が減額されれば、後は希望退職者を募るだけで、会社側は解雇回避努力を行ったと認められる。 これは会社が従業員の解雇を行う条件が揃うことを意味している。 会社の業績悪化をチャンスだと捉え、今まで実行に移せなかった肩叩きを行うつもりだろう。 不安を煽るようで申し訳ないが、最近世間を騒がせている大企業の希望退職者の募集は、まだ序章に過ぎない。
日本の大企業においても、優秀な新卒には年収 1,000 万を提示するジョブ型採用が始まっている。 このジョブ型採用の一番の足枷は「担当人事のやっかみ」になるだろう。 年収 1,000 万というと、多くのケースで新卒採用選考の担当者より高い。 これまでの年功序列に慣らされた感覚で、自分より年下の候補者に対して自分以上の年収のオファーを認める、これは本当に上手くワークするのだろうか。
以上のことから、解雇規制は労働者の一方的な権利とは言えない。
解雇規制は人材の流動性を低減させ、活発でなくなった人材市場は雇用者と労働者のパワーバランス、つまりは人材の市場価値を隠し続けてきた。 ジョブ型採用が主流になれば、今まで解雇規制に守られてきた労働者と解雇規制によって正当に評価される機会を逸した労働者の実態が明るみに出るだろう。
ジョブ型採用にシフトしていくこれからの時代、自営業はもはやリスクではない。 たとえ正社員であっても「一人ひとりが雇用主である会社と対等なビジネスをしていく」という自営業と同じ覚悟が必要になるだろう。