近年ひろゆきの影響を受けて「論破」のイメージが悪くなっているようだ。 私はひろゆきの動画をほとんど見たことがないが、論破は仕事をする上で必要なことだと私は考える。
特に仕事で議論をする上で、論理展開の誤りを早期に指摘して無駄な議論を避けることは生産的に働くことにつながる。
不毛な会議というのはロジックのレビューより周囲の共感を得ることが目的になっていることが多い。 これは議論の中で行う意思決定がより多くの支持を得ることで、決定の責任を分散することができるからだろう。
そもそも論破とは、「相手の論理的な誤りを指摘すること」である。 だから私は「論破力」という言葉にも違和感を覚える。相手の論理に誤りがなければ論破しようがないからだ。
もっとも、相手の誤りを指摘するという行為はどうしても角が立つ。 相手の論理が破綻していることを角を立てずに伝える方法については配慮があって然りだろう。