全身麻酔と臨死体験から考える意識
全身麻酔は、脳が正常に動いているのに意識だけが消える。 臨死体験 (near-death experience; NDE) は、脳がほとんど動き得ない状況で意識が生じたと報告される。 正反対の現象だが、どちらも脳の発火と意識の対応が素直でないことを示している。
前作の 意識は本当に脳が作っているのか では、発火と意識の相関は固いが因果は示されていないと書いた。 この二つは、その相関そのものを両側から削りにくる。
| 現象 | 脳の状態 | 意識 | 相関に対して |
|---|---|---|---|
| 全身麻酔 | 代謝も発火も保たれている | 消える | 発火は意識の十分条件ではない |
| NDE | 心停止後は脳波が平坦になる | 生じたと報告される | 発火は意識の必要条件でもないかもしれない |
全身麻酔
脳に薬を入れれば意識が消え、抜ければ戻る。 意識が脳に依存することの例として、全身麻酔はよく引かれる。
ただし消えているのは活動量ではない。 麻酔下の脳の酸素消費は覚醒時の半分程度までしか落ちず、ニューロンは発火し続けている。 経頭蓋磁気刺激で皮質を叩いて応答の波及を測ると、覚醒時には複雑で広範な反応が返るのに対し、麻酔下では局所的で紋切り型の反応に潰れる。 消えているのは活動の統合である。 麻酔薬でありながら脳波が活発なまま被験者が意識を保つケタミンが、それを裏づけている。
つまりこの例が支えているのは「発火があれば意識がある」ではなく、「特定の統合パターンがあれば意識がある」である。
麻酔薬は健忘作用も併せ持つため、「意識が消えた」のか「記憶が残らなかった」のかを切り分けられない。
NDE とは何か
心停止や重篤な外傷から蘇生した人が語る、一定の型を持った体験である。 Bruce Greyson が 1983 年に作った 16 項目の尺度で一定点数以上のものを NDE とみなす運用が、研究では標準になっている。
報告者によらず繰り返し現れる要素の集合はコア体験と呼ばれる。 苦痛の消失、浮遊感と体外離脱、暗いトンネル、光、亡くなった人物との再会、人生の回顧 (走馬灯)、越えてはならない境界、そして帰還である。
心停止の生存者を前向きに追った研究では、van Lommel らのオランダの研究 (Lancet, 2001) が生存者 344 人のうち 12% に中核的な NDE を認め、Parnia らの AWARE (2014) では面接を完了した 101 人のうち 9 人が該当した。
問題はタイミングである。 心停止から脳波が平坦になるまでは 10〜20 秒しかかからない。 にもかかわらず NDE は、覚醒時より鮮明で、時間感覚が引き延ばされ、筋が通っていたと語られる。
死後の世界か、死にゆく脳か
争点ごとに両側の言い分を並べる。
NDE はいつ起きたのか
最大の論点であり、他のすべての土台になっている。 NDE の内容を実時間に対応づける手段が原理的にないため、唯物論には常に二つの説明が使える。
- 計測できない残存活動: 頭皮上の脳波が平坦でも、深部が完全に停止しているとは限らない。
- 蘇生後の再構成: 脳が活動を再開する過程で作られた記憶が、停止していた時間帯の出来事として配置される。記憶自体はタイムスタンプを持たない。
死後の世界説が最も強く出られるのは、心停止と全身麻酔が重なった症例である。 1991 年の Pam Reynolds は、巨大脳動脈瘤の摘出のため体温を 15 ℃ まで下げて心拍と呼吸を止める低体温循環停止下に置かれ、脳幹反応の監視のために両耳には 100 dB のクリック音が流されていた。 彼女は後に、手術器具の形状や執刀チームの会話を描写している。 この型の症例では、唯物論は心停止と麻酔の両方を同時にクリアしなければならない。
だが麻酔科医の Gerald Woerlee は、彼女が「聞いた」骨切り器の音や血管についての会話は、循環停止の時間帯ではなくその前後の麻酔下で起きた術中覚醒だと指摘した。 循環停止が実際に維持された時間は、語り直されるうちに長くなっている。
私見: 再構成という説明について
蘇生後の再構成は、原理的に反証できない形をしている。 NDE の時刻を独立に押さえる手段がない以上、どんな報告も後付けで処理できてしまう。
そして死後の世界説の側も、同じ穴を逆向きに使っている。 NDE が心停止の最中に起きたと主張する根拠もまた、時刻が決められないことに寄りかかっている。
NDE の部品は脳で作れるのか
NDE の各要素は、別々の介入で個別に作り出せる。
| NDE の要素 | 再現の方法 |
|---|---|
| 体外離脱 | 角回への電気刺激 (Blanke ら, 2002) |
| 解離、現実感の喪失、故人との再会 | ケタミン (NMDA 受容体拮抗) |
| 至福感と神秘体験 | セロトニン系幻覚剤、DMT |
| 鮮明な記憶想起 | 側頭葉内側への電気刺激 (Penfield) |
これらが死の過程で同時に走り、統合されて一つの NDE になる ― という筋書きである。 「再現実験で作られる体験は NDE とは別物だ」という反論は、定量的には支持されていない。 Martial らは 165 種の向精神薬に関する約 15,000 件の報告と 625 件の NDE 記録の意味的類似度を比較し、最も近いのがケタミンだったと報告している (Consciousness and Cognition, 2019)。
反例として挙がるのが先天盲である。 Ring と Cooper の調査 (『Mindsight』, 1999) では、体外離脱か NDE を報告した全盲・弱視 31 人のうち先天盲が 14 人おり、そのうち 9 人が NDE の最中に視覚的な感覚があったと述べている。 先天盲の人は通常、夢にすら視覚を伴わない。
再現として引かれるもののうち、筋の悪いものが二つある。
- ゴッドヘルメット: Persinger が側頭葉に微弱な磁場をかけ、「何者かがそこにいる」という感覚を作り出したとされる実験。Granqvist らの二重盲検の追試では効果が再現されず、被験者の被暗示性で説明できるとされた。
- トンネルと光: 網膜の低灌流や視覚野の脱抑制で説明されることが多いが、それらしい仮説があるだけで、NDE のトンネル体験を実際に作り出せたわけではない。
コア体験はなぜ一貫しているのか
年齢も文化も状況も違う報告者が、同じ要素を同じ順序で語る。 純粋な作話ならもっとばらけるはずだ、というのが死後の世界説の主張である。
唯物論の応答は二段ある。 まず、その一貫性は選別が作っている。 Greyson スケールは要素の有無を点数化して閾値で切るので、整合性のない夢のような報告はそもそも NDE として集計されない。
そして、人間の脳は同じ構造をしているのだから同じように壊れる。 夢にすら、報告者によらない共通のモチーフがある。
- 人前で自分だけ裸
- ブレーキを踏んでも効かない車
- 外から丸見えのトイレ
同じハードウェアが同じ条件で落ちていくとき、似た幻覚が並ぶことは驚くに値しない。
実際、NDE の細部は文化に依存する。 Pasricha と Stevenson がインドで集めた NDE の報告 (1986) では、死の神ヤマの使者に連れて行かれ、名簿を照合した役人が人違いに気づいて送り返される、という官僚的な筋立てが繰り返し現れる。 欧米の NDE で語られる「まだお前の時ではない」とは、明らかに形が違う。
NDE は本人の脳の外へ出ているのか
NDE が死にゆく本人の脳の内側で完結していない、とする報告が三種ある。
- ピーク・イン・ダリエン (Peak in Darien): 本人が知り得ない情報を持ち帰ったとされるもの。典型は、その時点で死を知らされていなかった人物が「向こう側」に現れ、後からその人が実際に亡くなっていたと判明するケースである。生きていると信じている人物を死者として登場させる動機がないため、期待の投影という説明が効きにくい。
- お迎え現象: 岡部健らが 2007 年に仙台市の在宅緩和ケア利用者の遺族 366 人に行った調査では、42.3% が亡くなる前にお迎えがあったと答えた。
- 臨死共有体験 (shared-death experience): 看取る側の健常者が NDE を共有したとする報告。死にゆく本人の脳では原理的に説明がつかない。
いずれも検証が後追いになる。 ピーク・イン・ダリエンでは、後年の調査で本人が事前に知り得たと判明した例や、事実関係自体が誤っていた例が少なくない。 臨死共有体験に至っては報告数が少なすぎて、根拠として使うには弱い。
これを前向きに検証しようとしたのが AWARE (2014) である。 心停止中に天井近くの棚へ置いた画像を「上から」見られるかを試す設計で、画像を見たという報告はゼロだった。 ただし、記録された心停止の 78% は棚が設置されていない場所で起きている。 仮説が棄却されたのではなく、実験が成立していない。
死にゆく脳で何が起きているか
生理指標は二つとも、NDE が脳の側から来ていることを指している。
Klemenc-Ketis らは院外心停止の生存者 52 人を調べ、NDE を報告した 11 人では血中の二酸化炭素分圧が有意に高かったと報告した (Critical Care, 2010)。 性別・年齢・学歴・信仰・死への恐怖・蘇生に要した時間・投与薬のいずれとも相関しない。
AWARE II (2023) は 25 施設 567 件の院内心停止を対象とし、生存者 53 人のうち面接を完了した 28 人中 11 人が心停止中の記憶や知覚を報告した。 注目されたのは脳波のほうで、脳の酸素飽和度が平均 43% まで落ちた状態でも、CPR 開始から 35〜60 分の時点でデルタ・シータ・アルファ、さらにベータまで、覚醒時に見られる波形が断続的に現れていた。
私見: 二酸化炭素との相関の読み方
これは唯物論に有利な材料として紹介されることが多いが、読み方は一つではない。 二酸化炭素が高いほど脳は機能不全に近いのだから、「脳が壊れているほど鮮明で構造化された NDE が起きる」という関係になる。 脳が NDE を作っているという説明と、すんなり噛み合うわけではない。
なお著者ら自身は、この所見を因果の証明としては提示していない。
NDE が何のためにあるのかについても、唯物論的な説明がある。 走馬灯を、脳が過去の記憶を総ざらいして現在の危機を切り抜ける手を探す過程とみなすもの。 NDE 全体を、死の恐怖から離脱するための防衛機構とみなすものである。
私見: 防衛機構という説明について
死にかけている個体を多幸感で満たし、苦痛と恐怖を取り除く仕組みは、生存にとって有利どころか不利である。 副産物にすぎないと言うなら、それは説明ではなく説明の放棄である。
NDE のあとに残るもの
NDE の後には人格が変わる ― 物質的な成功への関心が薄れ、死の恐怖が消える。 NDE が信じていた宗教の教義といかに違っていたかを報告者自身が強調し、NDE の後に組織宗教から離れる人も少なくない。 期待の投影という説明とは逆向きである。 突発的な事故で、自分が死にかけていると認識する間もなく NDE が始まったとされる報告もあり、「死の恐怖が引き金」という説明も届かない。
唯物論側は、人格変容を側頭葉の一過性の異常活動のあとに見られる変化と同種のものとみなす。
私見: 人格変容は何の根拠になるか
人格変容は、死後の世界が実在することの根拠としては弱い。 死にかけたのだから、脳に何が起きていようと変わるほうが自然である。
一方、NDE の記憶が何十年も薄れないことの説明としては、AWARE II の脳波のほうが効く。 心停止から数十分後にあれだけの活動が出ているなら、記憶が強く焼き付く余地がある。
証言そのものの質
唯物論では説明できない代表例として挙げられる事例ほど、足元が弱い。
- Eben Alexander: 細菌性髄膜炎で大脳皮質が完全に停止していたと主張したが、Esquire (2013) の Luke Dittrich の取材に対し、担当医の Laura Potter は昏睡が薬物によって誘導したものであり、鎮静を弱めたときの彼は「意識はあるがせん妄状態」だったと証言した。皮質が停止していたという前提が崩れれば、本の主張は残らない。同じ取材は、彼が 10 年間にヴァージニア州で 5 件の医療過誤訴訟を和解で処理したこと、2003 年に手術の不適切な実施を理由に執刀権限を停止されたこと、椎間を取り違えた手術のあとにカルテを書き換えたと指摘されていること (本人は否認) も報じている。人格で主張の当否を判断すべきではないが、検証のしようがない体験談である以上、語り手の信憑性に疑問が残ることは致し方ない。
- 撤回された証言: 『天国から帰ってきた少年』の著者 Alex Malarkey は 2015 年、注目されたくて話を作ったと自ら撤回した。
- 生きている人物の登場: NDE には存命の人物が現れた報告もある。死者と出会ったケースばかりが選択的に語られている。
脳のフィルター説
第三の立場がある。 ベルクソンやウィリアム・ジェームズに遡り、ハクスリーが「減量バルブ」と呼んだフィルター説 (filter theory) ― 脳は意識を生成する装置ではなく、生存に必要な範囲まで絞り込んで通す装置だという見方である。 この枠では麻酔と NDE が同じ一つの軸に乗る。 麻酔はフィルターを閉じ切って何も通さない状態、臨死は緩んで普段は通らないものが通る状態になる。
噛み合う実測もある。 Carhart-Harris らは、幻覚性キノコの成分であるシロシビンを投与すると、主観的な体験が劇的に強まるにもかかわらず、内側前頭前野や後部帯状回の活動がむしろ低下することを示した (PNAS, 2012)。 測っているのは fMRI (機能的磁気共鳴画像法) の BOLD 信号である。 MRI で脳を繰り返し撮像し、血中の酸素化ヘモグロビンの変化から神経活動を間接的に推定する指標で、「脳のここが光っている」という画像はたいていこれを見ている。 NDE とは別の現象だが、主張の形は同じである。 体験の強さは脳活動の量に比例しない。
ただしここで、麻酔のところで出てきた精緻化が効く。 活動量が落ちても信号の複雑性は上がる ― Schartner らは、シロシビン・LSD・ケタミンのいずれでも脳の信号の複雑性が覚醒時より高くなることを示した (Scientific Reports, 2017)。 意識に対応するのが活動量ではなくパターンなら、血流や BOLD 信号の低下はフィルター説の証拠にならない。
フィルター説の本当の弱点は別にある。 反証可能な予測をほとんど産まず、どんな観測結果も「フィルターの開き具合」で吸収できてしまう。 前作で挙げたクオリアと受け手を分ける見方と同じで、問いを解いたというより移しただけである。
まとめ
- NDE の一部が死にゆく脳の活動と結びついていることは、ほぼ確実である。二酸化炭素との相関も AWARE II の脳波も、そちらを指している。
- それでも既知の脳の働き方と噛み合わない部分が残る。心停止から 10〜20 秒で平坦化する脳が、覚醒時より鮮明で構造化された NDE を生んでいるのなら、唯物論を維持したままでも意識と脳活動の対応は書き換えを迫られる。
- 争点は「何が起きたか」ではなく「いつ起きたか」に集約され、双方が、NDE の時刻を決められないという同じ一つの穴を都合のよい向きに使っている。
決着は証言の積み上げではつかない。 AWARE のように前向きに設計され、NDE の時刻を独立に押さえられる実験でしか進まない。 AWARE 自身は設計の不備で目的を果たせなかったが、何を潰せば前に進むのかははっきりした。
意識をめぐる問いの中で、これが実験に載る形をしているのは珍しい。